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いよいよ公開20周年を迎える
「スウィートホーム」の事を
今更ながらに熱く語りませんか?
何かにくじけそうな時
何かにつまづいた時
そんな時はこう呟きましょう。
「こころの力を私にください・・・」
本館もよろしくです。
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山村健一。 間宮邸近隣のガソリンスタンドの店主である老人。
和夫や秋子に間宮邸の悲劇を伝え、間宮夫人に打ち勝つには「こころのちから」が必要だと
教える。間宮邸地下焼却炉においてエミを間宮夫人から救出する際に、全身を影に焼かれて
死亡した。山村がいなければおそらく間宮邸から誰一人脱出する事は適わなかったほどの
重要人物でありながらその素性は一切明らかにされていない。
その山村健一とは一体何者だったのか?
ファンの間でも憶測が飛び交い、「間宮邸使用人説」や「間宮一郎本人説」などがあるが、ここ
では「間宮一郎本人説」を押していきたい。つまり間宮夫人の夫・フレスコ画家間宮一郎=山村
健一である。前述のように映画本編では山村の素性について一切の表現や言及が無いまま
だが、当時発売された「スウィートホーム THE FAMICOM」の5人生還エンディングにおいて
間宮一郎説を匂わす表現があった。確かに山村が間宮一郎なのであればこの惨劇に関わって
くる十分な理由足りうるだろう。
惨劇の舞台である間宮邸の主である間宮一郎。死んだとされている彼が何故「山村健一」と名を
変えて供養塔が健在であるならおそらくは安全である間宮邸に住まずに近隣から間宮邸を
見守っていたのか。その謎に関しての考察はまた別項にてさせていただこうと思う。
ちなみに「間宮邸使用人説」については管理人の推察ではほぼ×と思っている。
山村が焼却炉の奥にいるであろう間宮夫人に対して「お前には幸せな過去がある筈だ!」と
言い放つが使用人風情がその屋敷の主の夫人に対して「お前」呼ばわりはないだろう、と言う事。
単純に考えて間宮邸の悲劇から30年の間、近くから間宮邸を見守っていたぐらいの忠義のある
使用人ならばなおさらこの言葉を夫人に放つのは違和感がある。なので使用人説はこのBlog
では可能性としてほぼ無いものとしておく。
>「間宮邸使用人説」や「間宮一郎本人説」
この表記は、Wikipediaをご覧にになったのですね?自分はWikipediaにいくつかの説を書きましたが、今では削除されてしまいました。あそこは堅いですから…
山村の正体について、自分の見解を書かせてください。
まず、「間宮邸使用人説」これはブログの記述の通り、ないでしょう。「間宮一郎本人説」これを推されているようですが、映画やゲーム内での間宮夫人との会話から考えるとこれもありえないと考えます。妻を(ひいては自分を)「まみやは」といった呼び方をすることはないでしょう。そもそも主である一郎がガソリンスタンドに籠もっている理由がありません。
これで間違いないと考えます。
ゲーム内では「何者かが、愚か者が、供養塔をほりおこしたんだ」という言葉がよく現れます。
これはかずお達が屋敷を訪れる前のことです。
TVの取材として屋敷を訪れる以前から、間宮邸は悪霊の住処となっていました。
これは、安らかに眠っていた間宮邸を何者かが侵したからです。
その理由は物語からは不明です。
しかし、決定的なのは、ゲームのエンディングで執事が、
「山村さん、あの方は奥様のなされたことにとても責任をかんじておられて」
と発言しています。
これは夫である一郎がそれを止められなかったから、ともとれますが、自分は、
「自分(山村たち)の行動により静かに眠っていた間宮夫人の怒りを買ってしまい、惨事を起こしてしまった」という意味だと考えます。違うでしょうか?
山村、えつこ、けんじ、たかし達一行は、かずお達が屋敷を訪れる以前に、何らかの目的で間宮邸を訪れます。
そこで誰かが、供養塔を掘り起こすようなことをしでかし、そこで間宮夫人が目覚めます。
山村は映画内で、「あなたに間宮邸に入るなという権利があるのか」と聞かれ、「いや、権利はある」と答えます。
これは、自分が犯した罪により、これ以上犠牲を出すわけにはいかないという意味です。
権利というより、ある意味義務ですが。
自分たちのせいで間宮の、間宮邸の眠りを起こしてしまったのだから、山村は間宮邸近くに住み、これ以上犠牲が出ないように見張ることにしたのでしょう。
(もっと言えば、山村は、先発隊のメンバーを見捨て、置き去りにし、逃げたのかもしれません。)
これらの理由から、
山村=一郎ではなく、山村=間宮婦人の眠りを覚ました張本人であると考えます。
自分はこれが解答だと考えています。
何か問題があればメールをください。
時間がなくてしばらく放置状態なのですが訪問していただいて嬉しいです^^
さて山村=事件の発端、という解釈でいいのでしょうか?
なるほどそういう考え方もあるのですね~。
自分でもまだまだ本人説に色んな矛盾が生じているような気がしていたのですが、まぁ自分の解釈だからと思ってつらつら書いてしまいました^^;
映画公開当時に本人説で固まってしまったのでそこに固執する余りこじつけっぽくなってしまったかもしれないです。
そうですね、山村が夫人の眠りを覚ました張本人であれば贖罪の意味から間宮邸付近で生活する意味が強くなるかもしれないですね。確かにTOHMAささんの言う通りなら辻褄が合いますね!
貴重なご意見をありがとうございます。
ひとつ気になるのは、「土偶」や「心の力」の出所なのですが、山村はどうやって夫人に対抗できる手段であるこれらの力を手に入れたのでしょうね?もしTOHMAさんの方で解釈がお有りでしたらまたご意見をお聞かせ下さい~(=゚ω゚)ノ
公開から20年も経つと、この作品の事で話せる人が少なくて寂しいですね(TT)
いきなりですが本題に移らせていただきます。
私はこの山村という人物が物語の根幹に関わっている人物のような気がしてならないのです。
もし若き頃の建築家間宮に画家山村という友人が居たとしたら?
そして二人は同じ女性に恋をしていたなら?
さらに建築家として成功していた間宮が経済力に物を言わせて強引にその女性を射止めたとしたら?
でも実は山村と女性の間には既に子供が出来ていたとしたら?
そして画家山村は友人と愛していた女性の結婚に、お祝いとして母親と子供のフラスコ画を描いたとしたら?
さらにそのフラスコ画に含められた本当の意味を建築家間宮が知ったとしたら?
そんな事を想像していたら
夫人が愛していた息子は何故死んだのか?(もしも誰かに殺されたとしたら?そして誰が殺したか?)
夫人は映画でもゲームでも最後には説得に応じていた、つまり精神的には興奮状態ではあったけど異常ではなかったはず。
そう考えるとなぜ夫や使用人までを敵を討つかのように苦しめたり死に至らしめたのか?
といった謎も解消されてくるのです。
全ては想像を元にしてるので他の皆様より確証があっての事ではないのですが、そんな捕らえ方もありえるかも?程度に聞いていただけたらと思います。